
質問
りおぽんさんはホテル選びにどのような変遷がありましたか?
また初めていく場所ではどのようにホテルを選びますか?
回答
僕が泊まるホテルや旅館の選び方に大きな影響を与えたのは、母方の祖母でした。祖母はミーハーで、日本の名旅館とか高級ホテルと言われるところが大好きでした。ですが一緒に旅に行く友人のような人はおらず、祖父と旅行には行かない。そして1人では旅行できない人でした。そんな祖母のお供を仰せつかったのが僕です。
祖母のやり方というのが豪勢なもので、例えば箱根の「強羅花壇」や修善寺の「柳生の庄」といった名旅館の部屋を2-3部屋取っておく。あるいは広い離れを取る。そして子や孫たちに遊びにおいでという。僕らはずっと泊まってもよし、1泊だけ顔を出してもよしという感じでした。
もっと遠いところへは旅行好きで手配が得意だった僕が、祖母と母を連れて行く。京都の「俵屋」、三重の「志摩観光ホテル」、湯布院の「亀の井別荘」などなど、祖母が亡くなるまで、数十の国内有名旅館や高級ホテルに行ったでしょうか。
また西洋かぶれでもあったので、当時はまだ珍しかったリゾートホテルに長期間泊まるという発想があり、本人は行きませんが、例えば「奥志賀高原ホテル」や「上高地帝国ホテル」「赤倉観光ホテル」といったリゾートホテルに、僕らが1-2週間滞在する費用をまるっと出してくれる。
僕に乗馬やテニス、スキーにゴルフというスポーツを習わせたのもこの祖母なんですが、こうして僕は中高校生で日本トップクラスの旅館やホテルがどういうものか、「知ってしまった」んです。またこれらには毎年のように行くホテルや旅館もあり、僕はすっかりお馴染みさんになってしまいました。この縁は今なお続いています。
またこれと並行して、今度は金沢の父方の親戚たちですが、僕が夏休みとかで遊びに行ってゴロゴロしていると、「温泉でも行ってきまっし」と言う。これを小学生の僕に言うんですね。加賀温泉郷などに親族が経営している旅館が2、3あり、そこが中心でしたが、気軽なものでした。「加賀屋」なんかにもよく行きました。
泊まるのは1泊とか2泊ではなく、1-2週間。おかげで中学生の頃には温泉に入って飲むビールの味を覚えてしまいました。泊まっていると従兄弟たちが遊びに来て麻雀したり。僕はこうした滞在で1円も払った経験がありません。こうして旅館やホテルで1泊といった忙しない泊まり方はしない、数日から1-2週間単位で泊まるという僕の習慣ができました。
これらを通じて、僕にホテルや旅館を選ぶ基準ができたわけです。それも極めてハイレベルの。
たださすがにこういう滞在ばかりしているわけにはいきません。もう一つの基準ができたのは、大学時代に始めた貧乏旅行です。僕は大学4年間で日本の鉄道を全線走破する計画を立てたんですが、すると必然的に旅先のホテルや旅館にふらっと1泊する。さすがにこのホテル代、旅館代は自分で持ちました。
ですからこの旅で泊まる旅館やホテルは1泊数千円の安宿です。しかし僕にはそれまでの経験があったので、安かろう悪かろうという宿は我慢できなかった。だから安いけれど、野趣溢れる温泉があるとか、料理は美味しいとか、なんらかの特徴がある宿を丹念に探して泊まって行きました。全線走破ですから、こうした安くて良い宿のデータベースが日本中に出来ていきます。
また大学時代は海外にもよく行き始めるんですが、これもこの時期は安宿です。例えば大学4年の時、パリに1ヶ月余り滞在しているんですが、泊まったのはカルチェラタンにある、トイレ共同バスなしの最安ホテルでした。こんな旅をスペインや英国、イタリアなど主に欧州を中心にします。
社会人になってからもこの最上級ホテルか最安ホテルかという泊まり方を20-30代の頃はしています。仕事で出張する時は当然、会社の規程によるホテル代が支給されるんですが、僕はこれに自腹を足して自分が泊まりたいホテルに泊まっていました。
37歳の時に新聞社を退職して自分の会社を立ち上げたわけですが、僕がこういう宿に詳しいことを知っている女友だちから依頼されて、「日本の名旅館・名ホテル」といったような名称のムックを2冊上梓しています。ふつうムックというのは数人のライターが手分けをして書くんですが、これはすべて僕が書きました。カメラマンさんと彼の車で1ヶ月半ぐらい日本の名旅館名ホテルを泊まり歩いて、僕は宿泊記を書き、カメラマンさんは撮影をする旅にも出ています。
38歳の時にIT企業に転職したわけですが、ここでホテルに長期間滞在するという新しい宿泊スタイルが加わりました。
入社して待ち構えていたのは激務。1-2週間ろくに家にも帰れません。当初はオフィスに寝袋を持ち込んで床で寝ていたんですが、これでは死ぬなと思った僕はボスに直訴します。この結果、オフィスのすぐ近くにある外資系高級ホテルの一室を会社が借りてくれました。ここには忙しくて家に帰れない時、最長で3ヶ月ぐらい長期連泊しています。
米国企業の上席副社長として2年半ニューヨークに滞在した時も、コンドミニアムを借りるまでは、「ザ・カーライル」というホテルに3ヶ月ぐらい泊まっていました。
50歳で退職、ニュージーランドの友人の羊牧場に長期滞在して静養した後は、欧州を中心に世界放浪の旅を繰り返したわけですが、この時点ではすでに数十億円の資産を築いていたので遠慮はしませんでした。世界の最高級ホテルのスイートを泊まり歩いています。
例えば欧州滞在ではパリの「ル・ムーリス」のスイートを借りっぱなしにして、ここに荷物を置いて周辺諸国に旅に出ています。だんだん定宿というのも出来てきて、ロンドンは「ザ・リッツ・ロンドン」、ローマは「ハスラー・ローマ」、ヴェネツィアは「ホテル・チプリアーニ」、バルセロナは「オテル・カーサ・フステル」といった具合。米国系などの高級だけどチェーンホテルには極力泊まらず、出来るだけ地元の伝統的な最高級ホテルを泊まり倒すという方針で選んでいます。
ぜんぜん日本に帰って来ないことを心配した妻がパリまでやってきた時は、「ル・ムーリス」で落ち合って、南仏のホテルからイタリア、スイス、オーストリアと泊まり歩いています。
エズの「シャトーエズ」やアンティーブの「オテル・デュラック・エデンキャップ」、カプリ島の「クイシサーナ」、ルガーノの「ヴィラ・プリンシペ・レオポルド」、ウィーンの「ホテル・ザッハー」、そしてザルツブルク音楽祭のために長期滞在したザルツブルクの「ホテル・シュロス・メンヒシュタイン」などがこの旅の記憶として残ります。この期間、パリの「ル・ムーリス」は泊まりっぱなしなんだから豪勢なものです。
大学に入った娘が英国に一人旅をした時は、「ザ・リッツ・ロンドン」で落ち合って食事をご馳走したり、また別の機会では一緒にモロッコ旅行をした時、マラケシュの豪奢な「ル・マムーニア」に宿泊してカジノに興じたり。
またこれだけ長くパリに滞在したのでフランス人の友人が増えたんですが、上流階級に属する彼らの冬の社交場はスキー場。ということでムジェーヴやヴァルデゼール、あるいはスイスのホテルに連泊してスキーに興じています。「エレイエ・デ・ヴァルデゼール」がお気に入りでした。
僕のホテル遍歴はだいたいこんなところ。今もその流れで旅行をしている感じですね。読んでもらえばわかるように、「駅前のビジネスホテル」というのが一番縁がありませんでした。
初めて行くところでも、現在の僕が泊まるようなホテルは無名ではないので、ちょっと調べればわかります。探すことに苦労はありません。
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