質問
子育てのご相談です。
1歳の子どもがいます。
子どもの自慢では決してないのですが…
保育士の先生やモンテッソーリの先生から、習得が早く、手先が器用で、観察力もかなりあるとのことで、驚かれることもあるほどです。
それだけではなく、運動神経も抜群です。柔軟性もあります。
精神的にも落ち着いているそうで、たしかに泣くのはおなかがすいたときと眠いときだけで、意思を示すのが早く、いやいや期も1歳すぎてすぐ始まりました。
そして、なぜか無条件にいろいろなひとに愛されて、かわいがってもらえるという、私たちの子どもとは思えないほど、いろいろなものを兼ね備えている女の子です。
私は正直恐れています。
こんな素晴らしい子の芽を摘むようなことをしてしまわないかと。
かくいう私は、多少持っているものがありましたが、何度も出る杭を打たれてきて、長い間苦しみ、30すぎてやっとまともに生きられるようになってきたところです。
もちろん子どもにはこんな苦労をしてほしくないです。
また、私はまったくできた人間ではないこともあり、あまり押し付けたりしないようにしようとか、何事も厳しくしすぎないように気をつけようなどと考えてはいました。
でもこんなにいろいろなものを持って生まれた子だと、期待してしまいそうですし、やらないと決めていることをついやってしまいそうだなと。
りおぽんさんは、お子さんが幼い頃から優秀だったと思うのですが、なにか気をつけていたことなどはありますか?心構えなどはありますか?
こういう子どもに対して、どのように育てることを進めるかなどあれば、教えていただけますか?
精神面を主に伺いたいですが、ちなみに、習い事などについては、現在モンテッソーリのみです。英語は取り入れており、日本語ほどではありませんが、単語は話しますし、ある程度理解しています。
今後、体操と音楽は習わせようかと考えています。あまりたくさんは習い事をさせないようにしようと思っています。
これはあまりご相談できる方がいないことで(保育士やモンテッソーリの先生も優秀な子どもはそれほど多く見てきていないためです。少なくともうちほどのお子さんはあまり見ていないので、驚くのだと考えています。小学校受験の先生であれば別なのでしょうが)、りおぽんさんならアドバイスいただけるかも、と思い、質問してみました。
もしよろしければ、ご回答を、よろしくお願いいたします。
回答
本当にわかるのはこれからですが、ぜひ「わが子がギフテッドかもしれないと思ったら」(ジェームス・ウェブ著、春秋社)という本を読んでください。なおツイッターではギフテッド=発達障害みたいないい加減な話がまかり通っていますが、この2E型とされるギフテッドは実は2割もいません。しかし、2E型ではないギフテッド児でも非同期発達で苦しむ場合がしばしばあります。
うちの娘の場合、プロファウンドリー・ギフテッドというもので、もっと大きくなってから受けたIQテストの結果が「100万人に1人程度」ということでした。
これは一見すると素晴らしいことですが、まず①親は圧倒的にマイノリティの子どもを育てることになります。100万人に1人が本当かどうかはともかく、もしそうだとすれば、娘と同じ歳の日本人は100万人ちょっとですから、自分と同等の同じ歳は日本に1、2人いればいい方、99.9999万人に対してマイノリティということになります。
幼稚園はおろか小学校だって、そんな子どもを教育する準備はしていません。教師も扱った経験がない子どもですから、親が子どもの教育方法を模索していかなくてはなりません。僕の場合、IQの数値的には僕もほぼ同じだったので、娘にこれから起こることが想定できました。そこで自分の経験を元に教育計画を立てています。
あれこれやらせ過ぎないようにしたいということですが、僕は逆に娘にそれなりの負荷をかけ続けることにしました。僕もそうだったし、娘も結果的にそうなるんですが、学校が用意している教育はめちゃくちゃ退屈でヒマになります。僕は小学校の授業時間がとても苦痛でした。学校の教科書は年度初めにもらって来て、それを1-2日かけて読破すればすべて理解できました。
ということは、その後の1年間、延々と自分がすでに理解したことを授業で教えられることになります。まったく知的刺激がないですし、授業時間にやることがなくなります。僕は小学校をいわゆるオール5で通すんですが、それ以外の観察項目でしばしば「落ち着きがない」という評価を受けました。でもしょうがないじゃないですか、退屈なんですから授業の時はヒマつぶしをすることになるんです。
僕は小学3年の時でしたが、先生から「あなたがぜんぶわかっているのはわかっているから、授業の時は好きな本でも読んでいて。授業はほかの子のためにやっているんだから、邪魔はしないでね」と言われて、なるほどそうかと納得して、授業の時は文庫本を持ち込んで、おおむねそれを読んで過ごしていました。
学校の時間がとても退屈なんですから、刺激は親が用意してあげなくてはなりません。ですから僕らは娘にいろんな習いごとをさせました。勉強だけは必要なかったので、ピアノ、ヴァイオリン、バレエに英語などなどと、「やるべきこと」を用意して負荷をかけました。そういう子どもは少し忙しくさせてあげた方がいいんです。知的刺激を与えるのは学校ではなく、僕の役割になっています。
文字を教えるのもだいぶ早くしました。通常、子どもがひらがなを読めるようになるのは5歳前後とされます。ですからそれまでは親が読み聞かせをすることになります。しかし娘の場合、読み聞かせをしている本を覗き込んで文字を「理解してしまった」ので、非常に早期から自分で本を読む習慣が付いています。
以前、僕が娘が本を読み始めた年代や読んだ本を回答したところ、「ふつうその年の子どもにそんな本は読めないものだ」というご指摘を受けました。だって仕方ないじゃないですか、「ふつうじゃない」んですから。
僕は時刻表ででしたが、娘は読書で、就学前には小学校で習う漢字ぐらいはすべて読むことはできるようになっていました。僕は小学3-4年の時にはヘミングウェイを授業時間に読むのが楽しみでしたし、娘は退屈な授業が終わると一目散に図書室に行って自分が読みたい本を読んで図書の先生とお話しするのが楽しみになりました。
②マイノリティですから周囲からまったく理解されません。逆に娘も周囲を理解できません。相互に理解ができない環境で育ちます。ですから往々にしてマジョリティから迫害を受けます。先生など年長者からは愛されやすいですが、同世代からはイジメに遭遇しやすいです。
本人は「理解できない」「理解されない」という感情に相当苦しむことになるので、その「苦痛の理解者」になってあげるのは、親の役割になります。知能やその他の能力の発達に対して、感情の発達は往々にして非同期になります。「頭は大人、心は子ども」ですから、どうしても情緒が不安定になりやすいです。
ここが難しいところなんですが、幼い頃から相当難解なことを「理解」はできるようにはなります。しかしその結果生じる感情を「処理できない」ということがしばしば生じます。ほかの子どもが泥だらけになって遊んでいるのが楽しかったり、下ネタ語を叫んで喜んでいたりするような時、娘は「世界には不幸な子どもがたくさんいる」という話を理解していて、それに同情して泣いていて、どうしたら自分がそれを救えるだろうと真剣に悩む、なんてことが笑い話ではなくありました。ですからそういう子どもはどうしても一般的な子どもより感情の振れ幅が大きくなったり、傷きやすくなります。
僕がこの時に取った手法は「理屈で理解させる」というものです。大人でもそう簡単には理解できないような論理を理解はできるので、処理できない感情を、一つ一つ理屈で説明して理屈で処理できるよう促すわけです。納得できれば情緒もだいぶ落ち着くものです。その結果、だいぶ理屈っぽい人間に育ってしまいましたが。
いろんなことを理解できるので、例えばクラシックのコンサートの公演中は大人しく静かに座っていなくてはいけないことや、レストランに行ったらテーブルマナーを守ってお食事しなくてはいけないことを、幼稚園に入る前には理解できるようになりました。そして自分は「それができる」ということも理解していました。しかし当然ですが周囲は「幼い子ども」として扱います。
娘にはそれが「不当な扱い」に思えましたし、自分がそう扱われるのは「ルールを守れないで騒ぐほかの子どものせいだ」という気持ちになるわけです。この感情を僕は論理を使って処理させることにしました。
ただ小学校低学年ぐらいから、娘はしばしば「子ども扱いしないで」と文句を言ってくるようになったので、では「家においては大人として扱う」と僕は伝えています。大人として扱うということは、当然ですが権利を認めるとともに義務を負わせることになりますが、僕は遠慮なく義務を負わせました。でもそういう子どもってなぜ義務を負うのかも理解できるし、それが嬉しいものなんです。
こういう子どもの一番わかりやすい状態が「名探偵コナン」のコナン君です。あれを育てるんだと考えてみてください。コナン君にはぜったい誰かが「阿笠博士」になってあげることが必要になります。
③親は居場所を用意して、良好な関係性を構築することに腐心する。
これが結論です。プロファウンドリーギフテッドと評価されるような子どもの親は、子どもを勉強させることで苦労することはあまりありません。それは子どもの方で勝手にやってくれます。小学受験だって中学受験だって問題ありません。そんなこととはまったく別の悩みを抱えることになります。
そういう子どもには「居場所がない」んです。学校は楽しい居場所ではありません。自分に合うようにデザインされていないからです。学習進度なんてぜんぜん合いません。ですからその子どもの居るべき場所を、親が用意してあげるしかないんです。そういう子どもは「なぜ自分がそれをやらなくてはならないのか」さえ理解させてあげるようにすれば、どんどんやらせてかまわないと僕は考えています。実際、僕は娘にそうしました。
世界的にみてそうなんですが、日本においては特にギフテッド児の居場所がありません。異常値を弾くのが日本の文化ですが、これは上方の異常値においても変わりません。若干のギフテッドであればなんとか収まりますが、上方に行くほどどんどん収まらなくなります。そうなると子どもはいろんなことで弾かれ続けるので、親があらゆることをその子どもにカスタマイズ
ただし幼稚な親の論理は通用しません。1歳児にはまだ関係ありませんが、例えば「なんで勉強しないの」なんて言うのは、言う親の方がこの場合、間違っているんです。これは子どもがすでに理解していて退屈なことをやらせようとしているのか、なぜやる必要があるのか理解させずにやらせようとしているのか、どちらかです。親は常に「自分の方が間違っているんじゃないのか」という問題に向き合いながら子育てすることになります。
また良好な関係を構築できる相手も限られてくるので、親が「理解者」として信頼されて、良好な関係を構築する必要が、やがて出てきます。
④可能性をできる限り潰さない。
「生きる」ということは、選択肢を選んで「可能性を削っていくこと」でもあります。ギフテッドには一芸に秀でたタイプと、いくつかの能力で秀でたタイプやなんでも器用にこなすタイプがいます。うちの娘は後者でした。
こうなると親はいろんなことをやらせてみて、才能がありそうなものを伸ばす取捨選択をする作業に迫られます。これは可能性を削る作業になるので、慎重に考える必要があります。
僕らは幼い頃の娘には「いろいろやらせてみて、娘が興味を示したり、伸びそうなものは続ける。それ以外はさっさと辞めさせる」というアプローチ方法で臨みました。これで可能性をできる限りいっぱいに広げました。ただ辞めたことが娘の心の傷にならないようにだけ配慮しています。
小学生時代は「理解されない」「理解できない」娘の「理解者」になり、「居場所」を用意しました。
こうやってできる限り可能性を潰さないように配慮しながら、少しずつ絞っていったら、大学受験の段階で「ヴァイオリンで藝大」「学術で東大」という2択が残されました。親としては「どちらでも良い」と考えていたんですが、進路について相談して来たのでアドバイスだけはしています。結局、娘が選んだのは東大進学だったので、僕がやったのはレッスンをつけてくれていた藝大の先生にお詫びに行っただけです。
大学に放り込んだらもうあとは娘の好きにしろと思って僕は海外をふらついていたわけですが、娘が米国の大学院に進学したいと言ってきました。これについては「お金は出す」ということと米国の経営大学院を受験する「コツ」だけアドバイスしています。あとは自分で調べて工夫するように伝えました。そうしたらいくつか合格してきたので、どこに進学するか娘に選ばせています。
その後は就職して結婚して、今は妊活するか悩んでいるのが現在の娘のステージです。
1歳児の女の子にはまだ関係がない内容がほとんどの回答になってしまいましたが、我が家の子育ての経緯と方針については以上でした。1歳児の段階でまだ神経質になる必要はまったくありませんが、とりあえず冒頭の本は読んでみてください。問題は他の子どもとのコミュニケーションが問題になってからのタイミングだと思います。どうしても孤立します。
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