
質問
類は友を呼ぶ的な関係で印象的なエピソードはありますか?高校時代の元カレと、その後輩で1番仲良しの男友達と私の3人は、社会人になってから数年後。それぞれ個人トレーダー、証券会社M&A部門在籍、ヘボ兼業投資家(私)になりました。他に投資家友達誰もいません。さすがに笑いました
回答
類は友を呼ぶとはちょっと違いますが、僕と高校・大学の同期に佐々木清隆という一部方面では有名人がいます。開成高校の校内模試では文系トップを取ったことも多く、大学は法学部で、国家公務員試験にトップの成績で合格して大蔵省に入りました。どこから見ても超優秀で、僕とは違う星の住人です。ですから類ではありません。
僕の大学時代の雀友の1人に村上世彰という、今では各方面に有名な男もいました。灘高から一浪でやっぱり法学部に入ってきました。佐々木は真面目な勉強家で、村上は親の金で買ったというポルシェかなんかに乗って、女の子の腰に手を回して駒場キャンパスを歩くような男だったので、両者には接点がほとんどありませんでした。両者を知るのは僕です。駒キャンで当時女の子とちゃらちゃらして悪目立ちしていれば、村上世彰かりおぽんでした。
僕は経済学部ですが、外交官試験や国家公務員試験の勉強会に顔を出していたので、法学部の連中にも顔が広かったんです。現在官房長官の林芳正も法学部で同期の麻雀好きだったので、林芳正、村上世彰、りおぽん、プラスもう1人という夢のメンツで麻雀を打ったことも何回かあります。
村上世彰は卒業後、通産省に進みました。そして僕はテレビ局の政治部記者になり、佐々木や村上と僕との接点はいったんなくなりました。ただ共通の友人というのはいるので、大学卒業後、3人が友人の結婚式で新郎の友人として顔を合わせたりしたこともあります。
僕はテレビ局の社内派閥抗争に巻き込まれて、新聞社に転職、ここで政治部ではなく経済部への配属をお願いしました。結局、経済部で大蔵省担当になり、「財政研究会」、いわゆる大蔵省記者クラブに所属して、大蔵省の取材に当たります。その頃、佐々木は大蔵省証券局の総務課長補佐あたりをやっていたので、よく顔を合わせたものです。31歳で証券局とは言え総務課の課長補佐というのはまずまず順調なコースでしたが、その後のOECDへの派遣が彼の人生を変えます。
というのは日本にいなかった時に起こった不祥事の影響で、帰国後に就く予定のポストがなくなってしまったんです。そこで証券局の総務課長補佐までやった男が、帰国後に傍流の金融検査部の課長補佐なんかをやらされます。
でもその頃、僕は彼を心配しているどころではありませんでした。勤務していた新聞社でニューヨーク総局への特派員の内示が出たからです。一般的に新聞記者は語学があまりできないので、海外特派員の内示が出ると、半年ぐらい仕事が軽減されて、特派されるまで語学研修に勤しむ慣行があります。しかし僕は英語で取材するのには困らない英語力はすでにあったので、一気にヒマになりました。そこでいろいろ考えて出した結論が、新聞社を辞めることでした。
問題はニューヨーク特派員をやって箔を付けて来てから辞めるか、今直ぐ辞めるかだったんですが、1996年はまさにIT革命が進行し始めた頃だったので、この波をフリーハンドで掴みたい、だから今すぐ辞めようというのが答えでした。この決断が僕の人生を大きく変えます。
すったもんだがあった末に37歳で新聞社を辞めると自分の会社を設立、証券アナリストの仕事を始めます。当時は証券各社とも、造船担当や鉄鋼担当で余っていた人員を、いきなりIT担当や半導体担当に配置転換するという無茶をやっていたので、はっきり言えば業界のことは何も知らないど素人たちばかりでした。僕の知る限り、日本の証券アナリストで、当時IT企業をまともに分析できたのは、日本人では3人だけで、この全員が外資系証券会社所属でした。
僕は公認証券アナリストの資格はすでに持っていたので、自分の会社で日系証券会社のIT企業に関するアナリストレポートを受託するほか、某証券会社のIT担当証券アナリストたちの再教育も受託しました。タイミングがよかったので、仕事は順調に入りました。
しかし翌年、IT企業の某経営者にヘッドハントされ、考えた末に自分の会社をそのままに、転職を決断します。こうして38歳の時に、社会人になって初めて株式投資ができるようになったので、株式投資を始めます。折からのドットコムバブルでこれがものすごいことになり、1998年から2000年の約2年ちょっとで、ストックオプションで10億円弱、株式投資で10億円強の資産を一気に築きます。もしニューヨーク特派員になっていたら、この時期、株式取引は禁止でした。ですから今頃まったく違う人生を歩んでいたでしょう。
確かほぼ同時期だったと記憶しているんですが、村上世彰が通産省を辞めて、自分でファンドを立ち上げた、と風の噂で聞きました。世にいう村上ファンドです。彼も僕とほぼ同時期に本格的に投資を始めて、アクティビストの道を選んだわけです。
僕はIT企業に転職後、最初にやっていた業務は、その企業の経営トップの眼や耳になって、人脈や情報網を構築することでした。記者をヘッドハントした経営者の狙いにはこれがありました。
今でこそIT企業は名が売れた存在ですが、20世紀末の一般的な評価は「怪しげな新興企業」でした。ですから経営者と政治家や財界人の顔つなぎをすることなんかも職務の1つでした。経営者を公的ポストに押し込む仕事なんかも当時やっています。新聞記者にとっては当たり前ですが、当時、「君は総理と気軽に会えるのか」と経営者から感心されたものです。
この作業の過程で僕は国内外のIT企業経営者と広くコンタクトを取ったんですが、この中には堀江貴文もいました。しかし僕はドットコムバブル破裂直後、まもなくニューヨークにある米国のとある名門企業の上席副社長に就任することが決まりました。出資はしたものの、相手はNYSE上場の名門企業だったので、日本側の意向をまったく無視する、だからお前がニューヨークに行ってなんとかして来い、という上からの無茶な要求でした。
しかし2000年から2002年にかけてニューヨークやシリコンバレーで名を売ってきたことが、今も得難い人脈になっています。米国のIT企業や半導体企業で知りたいことがあったら、ビデオ会議で地元の情報通にサクッと話を聞ける日本人は、証券アナリストにもそういないと思います。
そして佐々木はいずれ大蔵省事務次官でも目指すのかと思っていたら、傍流の金融検査畑に進んでいたわけです。ライブドア事件が起こった時、佐々木のポストは証券取引等監視委員会の特別調査課長です。ですから堀江貴文逮捕の指揮を金融庁サイドで取ったのは彼です。そしてライブドア事件に絡んだニッポン放送株の株買い付けのインサイダー取引として、村上ファンド事件が起きました。金融庁と東京地検が共同で捜査に当たりましたが、金融庁サイドで調査を指揮したのは当然、佐々木でした。
村上世彰が逮捕起訴されたという話を聞いた僕の衝撃は、「大学同期の顔見知りでも、躊躇わず逮捕しちゃうんだ」というものでした。僕は当時、受け持ったベンチャー企業を経営してIPOを目指すという職務をやりながら、やはり国内外の業界の情報収集も受け持っていました。当然インサイダー情報は日常的に流れて来ます。こっちが聞かなくても教えてくれたりします。その上、自分で株式投資をやっていたんですから、村上世彰の逮捕は、対岸の火事ではありませんでした。いつ僕も「聞いちゃった」ということになるかはわかりません。
それまで僕は日本市場と米国市場をほぼ半々にやって来たんですが、これは日本のIT企業に投資するのは危険だ、米国株への投資にシフトしようと考えました。村上世彰逮捕が、僕が米国株にウェイトを大きく移し、それ以外の諸外国の投資にも手を広げるようになった直接のキッカケです。
僕は日本市場にも投資はしていますが、ウェイトは実は世界PFの約8%に過ぎません。そのほとんどが大企業で、日本のIT企業にはこれまであまり投資してきませんでした。SBGにも楽天にももう20年以上投資していません。これには僕がインサイダー情報の宝庫で、日本のIT企業に投資すると、逮捕されかねないという恐怖が背景にあります。その原因は村上世彰がやらかしたせいです。
大蔵省にあって金融検査部は傍流の傍流で、職員の士気は低く専門性も低いので、ロクな調査はできないという定評がありました。これが日本におけるインサイダー取引やりたい放題の温床にもなっていました。このあり方を変えていったのが佐々木清隆で、このため一部方面では非常に有名なんです。現在の検査畑には、今も佐々木の薫陶を受けた連中がたくさんいます。あんな超優秀な男を、傍流に追いやって、インサイダーも不正会計も事実上野放しになっていたところで真面目に仕事をさせると、こういうことになります。
僕は佐々木が証券検査畑にいる間は、「あいつに逮捕されるのだけは嫌だ」と心に誓っていたんですが、なんと証券取引等監視委員会の事務局長までやってしまいました。東芝の不正会計問題でも、最後の最後まで、起訴相当だから起訴しろと東京地検に証跡なんかを送って迫る強硬派でしたが、これは東京地検が腰砕けになって起訴に至りませんでした。
結局、その後も三人三様で投資の世界に関わり続けています。村上世彰は相変わらずファンド稼業をやっていますし、佐々木清隆は金融庁の総合政策局長までやって退官、今はデジタル金融規制研究の日本における第一人者になっています。現在では一橋大学の大学院の客員教授をする傍ら、昨年には日本の暗号通貨関連の自主規制団体である「日本暗号資産取引業協会」の理事などにも就任しています。昔は決して目新しいものが好きな男ではなかったと思うんですが、いつこうなってしまったのか。
高校時代の佐々木は色白銀縁眼鏡で少しぽちゃぽちゃした紅顔の美少年だったんですが、今は見た目も「霞ヶ関のジローラモ」と言われる、がっしり体型のちょい悪親父風になっています。いやはや高校大学を卒業して40年以上経つと、何が起こるかわかりません。年年歳歳、花相似たり、歳歳年年、人同じからずとはよく言ったものです。
今後もこの3人が絡む出来事はあるかも知れません。僕も来春には大学院教授に復帰しますが、ここでは人の投資活動が社会全体の幸福にどうやったら寄与できるかということも、研究テーマの一つになります。ESG投資のような規範が先行する思想が、広く普及するわけがないので、人が自分の利益を最大化させる欲望に忠実な投資行動を、どうやって社会全体の厚生に結びつけるか、研究していくことになります。
僕の方は生来の新しもの好きなので、いろんな目新しいものに手を出していくでしょう。しかし僕は佐々木清隆に逮捕される側にだけは、やっぱりなりたくありません。逮捕するなら村◯世彰にしてね
。
新幹線の車内で調子に乗って、こんなにあれこれ書いちゃって、よかったんだろうか。
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