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1990年のワールドカップイタリア大会

質問

以前1990年のワールドカップイタリア大会に出張で行き、イタリアの街で食べた料理の数々をシズル感たっぷりに思い出すことができました。
私が一番感動したのはシチリアのパレルモの港そばで入った、それこそトラットリアの食事です。知り合いから地元の比較的裕福そうなおじちゃんがどっかり座って食べてるような店を選べば間違いないと言われ、入った店です。

そこで食べたムール貝のトマト煮は一生忘れることがないでしょう。これがムール貝なら日本で食べるムール貝は一体何なのだ、くらいに美味しかったです。
シチリアのあのアフリカが混じったような風土と、雑多極まりないパレルモの街。
当時は悪名高く有名だったフーリガンの国、オランダ対イギリス(だったかな?)があり、街中に緊張感が漂っていたのもいい思い出です。

回答

あら、1990年のイタリアワールドカップに行かれたんですね。僕もワールドカップの時、溜まった有給をまとめ取りすることにしていたので、イタリアに行っていました。ただ僕は南イタリアにはあんまり行かず、開催都市間が近い北イタリアの都市を拠点に移動していましたが。行ってもナポリでした。

いろいろあった大会でしたよね。ベルリンの壁が崩れて、ソ連のペレストロイカが進んでいる中で行われました。また国際サッカー会から排除されていたイングランド代表が復帰しました。ただフーリガン対策もあり、国際大会での実績は低いのにシードされて、おっしゃる通り、サルディーニャみたいな南イタリアの離島に「隔離処置」されたというもっぱらの評判でした。イングランドがグループリーグを戦ったのは、1次リーグ開催地で一番のど田舎だったカリャーリだった記憶があります。

けっこう番狂せの多かった大会で、僕はルート・フリットやファンバステン、ライカールトなどACミランの黄金期を支えたオランダが優勝候補の最右翼だと思っていましたが、オランダ代表恒例のチーム内の人種問題もあって、トーナメント1回戦で西ドイツに屈しました。同じく優勝候補だと思っていたブラジルは、ラザロニ監督がイタリア代表並みの守備的な戦術を用いたことで、面白い試合をせず、やっぱり1回戦でアルゼンチンに敗れています。

前回大会優勝国のアルゼンチンは、マラドーナに思ったほどのキレがなく、そのせいか荒っぽい試合に終始しました。そして伝統のスロースターターぶりを見せて、初戦でカメルーンに敗れています。

開催国のイタリアも内紛が絶えないチームでした。特にフォワードでジャンルカ・ヴィアリを使うか、若手のロベルト・バッジョを使うかでチームの方針が定まらず、結局、当時は無名選手だったスキラッチの大会になりました。スキラッチが大会得点王だったはずです。

この大会で旋風を巻き起こしたのが、カメルーン代表でした。グループリーグ初戦でアルゼンチンに勝つという番狂せを演じたほか、ルーマニアにも勝って余裕でグループリーグ突破を決めました。トーナメント1回戦でもコロンビアに勝って、2回戦、ナポリでイングランド代表と大接戦を演じています。惜しくも敗れてしまいましたが、それまでアフリカ代表がここまで活躍するとは想像もできませんでした。確か「不屈のライオン」という愛称はこの大会で一般的になったと思います。

僕の個人的にはこの大会のVIPはドラガン・ストイコビッチです。1994年アメリカ大会はユーゴ内戦への制裁で出場権を剥奪されたので、これがユーゴスラビア代表の最後のワールドカップになりました。代表監督は日本にも馴染み深いイビチャ・オシムでした。

この時のユーゴは、「東欧のブラジル」と呼ばれるスター軍団でした。しかしユーゴ内戦の始まりが1991年ですから、まさにその前夜でした。チームのまとまりがとても悪くて、グループリーグでは西ドイツに良いところなく大敗します。でもオシムがチームを立て直して、コロンビアとUAEに勝って、グループリーグを2位で突破します。

そしてヴェローナで行われたスペイン戦。スペイン監督はルイス・スアレス、ほぼレアルとバルサの連合軍で、フリオ・サリナスやフェルディナンド・イエロなんかがいました。前評判はスペイン有利でした。

この試合、終盤までスコアレスで進むんですが、終盤になって動き、サリナスとストイコビッチが1点を入れ合います。この辺では僕は完全にユーゴサポでした。そしてストイコビッチの素晴らしいテクニックで延長戦でもう1点入れてスペインを下します。ナイスゲームでした。

続くフィレンツェで行われたアルゼンチンとの準々決勝も、僕は観に行きました。スタジオはアルゼンチンがホームの雰囲気で、試合中盤にユーゴは退場者も出して、明らかにアルゼンチン有利でした。しかし冴えなかったマラドーナに対して、ストイコビッチが冴えまくり孤軍奮闘、たびたびアルゼンチンゴールに襲いかかります。

試合は結局延長戦でも決着が付かず、PK戦にもつれ込みます。後にサッカー雑誌でオシムの回想録を読んだところ、この時にユーゴ代表でPKを蹴る意思を示したのは2人しかいなかったそうです。万が一にも外したら、愛国主義者に自分の家族が殺されるかもしれない、そういう時代でした。PK戦でストイコビッチもマラドーナもキーパーにセーブされます。そして本当に僅差でアルゼンチンが逃げ切りました。

僕がこの大会、最後に生観戦したのは、トリノのデッレアルピで行われた西ドイツとイングランドの準決勝戦です。本当はもう一つのイタリア対アルゼンチン戦を観たかったんですが、さすがにチケットが入手できませんでした。また有給も尽きてきたので、帰国準備もしなくてはなりませんでした。

ご存知のようにこの大会は西ドイツの優勝で終わるんですが、監督はベッケンバウアー、選手にはローター・マテウスやクリンスマン、ユルゲン・コーラーやアンドレアス・ブレーメなんかがいる優勝候補でした。試合は西ドイツ有利で進むんですが、終盤、イングランドもリネカーが1点を返して同点にします。そして1-1のままドローになってPK戦になりました。そしてイングランドにPKを失敗する選手が出て、西ドイツの勝利で終わります。

ローマのスタディオオリンピコで行われた西ドイツ対アルゼンチンの決勝戦は、結局、テレビで観戦しました。その前に行われたイタリアとの死闘で累積イエローを溜め込んだアルゼンチンはカニージャなど数人の主力選手を欠き、さらには試合中に2人も退場者を出すという荒れた試合になりました。そして試合終了直前にアンドレアス・ブレーメがPKを決めて優勝します。このPKも「本当にPKかよ」と思う判定だったので、正直に言って、ワールドカップ決勝戦史上に残る「凡庸な試合」でした。

僕がワールドカップを観に行ったのは1982年のスペイン大会が最初で、86年のメキシコ大会に続いて3回目でしたが、この時期のワールドカップには問題が山積でした。イタリア大会は各チームがやたら守備的だったので、面白いゲームが少なくて、確かこれを受けて、いろんな改革が行われた記憶があります。

とまああれこれ文句を言いましたが、この時イタリアに行ったのは確か4回目でした。それまではすべて貧乏旅行だったんですが、この時は初めてマトモにお金を持ってイタリアに行けました。ゲーム開催地を転々とするハードな旅行で、ホテルの宿泊費もワールドカップ価格でしたが、僕も試合の合間に美味いものを食ってイタリアを満喫できました。とても良い思い出になっています。

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