質問
不動産投資について、個人的な経験を少し。
①数年前、賃貸を探しに不動産屋に行くと、区分マンション投資を勧められて、
公示価格等の物件の選び方を教わった。
②知り合った大企業に勤めている方が、不動産融資で悪名を轟かせた銀行から、
区分でなく1棟単位のマンション投資で億単位の融資を受けて、
その利益で高級外車と高級ワイン持参でウィンタースポーツに興じており、
その投資について、銀行の受け売りと思われるが、「ノーリスク」と話していた。
③別の知り合った方で、大都市の幹線の主要駅の近くに賃貸マンション1棟の所有者の方で
収支状況を聞くと、少し持ち出しする程度と話をしていました。
感想として、不動産投資は余程のタイミング、例えばリーマンショック直後の大暴落した価格、でないと、借金をしてするものではなく、余裕資金がある富裕層向けかと思います。
また、広告等で不動産投資で一旗揚げた成功例をちらほら見かけますが、
これらは日銀のゼロ金利のおかげで、永久に続くという錯覚で物事が回っているみたいです。将来、ゼロ金利でなくなるような局面では、バブル崩壊のような恐ろしさを感じます。
さて長くなりましたが、
バブル崩壊の前後、不動産を始めとして、取材で色々見聞きしている経験があると思います。書ける範囲で良いので、何かバブルの兆候や崩壊前後でこんなに変化すること等の話があれば、お願いします。また、所有されている不動産について、収支率はどの程度でしょうか?
回答
①日本のバブル崩壊:これはハッキリ言って誰も予測できていなかったと思います。後知恵で日銀の3度に渡る利下げという金融政策やその背景にある米国の外圧などがバブルを発生させた戦犯とされています。でも、金利の引き下げは当時は歓迎されこそすれ、問題を指摘する声なんて聞かれませんでした。さまざまな企業や個人はこれ幸いと銀行からお金を借りまくり、不動産や株式などに投資しました。銀行など金融機関もこれにジャブジャブお金を貸しました。これが1980年代後半に起こった日本の「バブル」の真相です。
バブル崩壊の引き金になったのは、僕は当局の2つの政策転換だと思っています。一つは1989年5月、地価高騰に対する施策として行われた2年7ヶ月ぶりの「日銀の公定歩合引き上げ」、もう一つは大蔵省が行った「不動産融資総量規制」という行政指導です。不動産融資総量規制は1989年12月に成立した「土地基本法」に引き続き、1990年3月27日に行われました。異常な銀行の土地投機への貸し付けに対して行われたので、当時の銀行局長の名前をとって「土田通達」とも言われます。
日銀の金利引き上げも土田通達も、当時は歓迎されこそすれ、危険視される声はありませんでした。いや、むしろ、土田通達は地価高騰をなんとかしろという世論に押されて、当時の海部俊樹首相が行った政策転換というのが正確です。土田通達が発せられた当時、マスメディアの論調は「遅すぎる」「まだ生ぬるい」という一色でした。住専などノンバンクや農林中金などは土田通達の対象外だったので、投機資金を借りたい向きはこれらに殺到しました。これが後の住専の経営破綻につながります。
でも、この時点で、日本のバブルが崩壊すると考えていた人は誰一人いなかったと思います。後付けでいろいろ言っている人はいますが、すべて後付けです。実際、金融政策を転換した日銀の三重野康総裁はその後、1989年から1990年にかけて5回に渡って公定歩合を引き上げています。最低2.5%だった公定歩合は6%台になります。バブルが崩壊すると思っていれば、日銀はそんなことはしません。
ただ、日経平均だけは1989年12月29日に付けた過去最高値、3万8915円から低下していきました。この史上最高値を未だ超えていないのは、ご存知のとおりです。でも、当時、それを危険視する人なんていませんでした。後に三重野総裁はバブル崩壊の戦犯扱いされますが、当時、そんな声はありませんでした。ただ、日経平均は1990年8月に勃発した「湾岸危機」による原油価格高騰の影響もあり、下げ続けます。ちなみに、これは1992年8月に1万4039円になるまで続きます。最高値からの日経平均の下落率は63%という恐ろしいレベルになります。
日本のバブルが崩壊が始まったのは1991年というのが通説ですが、当時、バブルが崩壊したと考えていた人は極めて少ないと思います。実際、東京圏の地価高騰がピークに達したのは1991年です。地方では1993年ぐらいまで上がり続けたところもあります。政府や日銀も景気に対してまだまだ楽観的でした。まだみんなバブルに踊っていたんです。むしろ地価高騰が止まったという声を歓迎する人の方が大多数、メディアの論調もそうでした。1992年の東京圏の地価下落率はマイナス6.9%ですから、まだ小幅です。ただ、政府はようやく1992年2月にバブル景気が終焉したことを認めます。でもこの時点でバブル崩壊という惨事とは考えていなかったと思います。1年9ヶ月近く続いた「不動産融資総量規制」は1991年11月に撤回されましたから、また地価は上げると予想した人の方が多かったですね。メディアも規制解除は「時期尚早」という論調だったと記憶しています。1991年頃から後の大手金融機関の経営破綻の主因となる「飛ばし」が始まりますが、当時の経営者の感覚は「地価が回復するまでの辛抱」だったと思います。残念ながら、僕も取材していて、「飛ばし」なんて気が付きませんでした。
みんなが少しおかしいと感じ始めたのは、1993年に入ってからだと思います。この年、東京圏の地価はマイナス19.0%の大幅下落になります。不動産投機に走っていた企業の経営は一気に苦しくなり、新卒採用凍結が相次いだのもこの年です。急激な信用収縮や融資の不良債権化が発生し始めました。1994年の東京圏の地価下落率は前年に引き続いてマイナス18.3%の大幅下落となり、「日本の地価は下がらない」という「土地神話」は完全に崩壊します。株安に続いて不動産安になり、バブルは崩壊しました。不動産融資に血道をあげた住専の経営破綻が相次いだのは1995年です。山一證券や日本長期信託銀行、日本債券信用銀行などの経営破綻が相次いだのは1998年。金融機関の不良債権がピークに達したのもこの年です。結局、全金融機関がバブル崩壊で被った不良債権の純損失は100兆円、不良債権総額は200兆円とも試算されています。銀行が貸出姿勢を厳しくしたので、企業の投資意欲は冷え込み、日本経済は「空白の30年」という長期低迷期に入ります。
ざっと日本のバブル崩壊の経緯をたどってみましたが、これでわかるのは、①政府の政策転換は必ず実態経済に影響を与える、②ただし、政策転換が実態経済に深刻な影響を及ぼすまでは一定のタイムラグがある、③バブルはいったん弾けたら止まらない、そして④みんながそれに気付くのはずっと後のことで、気付いた頃にはもう遅い、ということです。現在、2013年に始まった「異次元の金融緩和」はその歪みが大きくなり、見直しの機運が出ています。日銀が緩和解除に動けば、必ず実態経済にインパクトがあると僕は思います。ただし、それは直ぐではありません。日銀や財務省が舵取りを誤れば、デフレのオーバーシュートは本当にあるかもないと僕も考えています。
所有不動産の収支率:僕は不動産投資にあたって、金融機関への借り入れをほとんどしていません。銀行とのお付き合いレベルでごく少額です。投資にあたって利用している土地は、もともと僕の手持ちがほとんど。賃貸マンションや貸しビルの建築費のほとんどは、株式投資で稼いだ資産の余資運用です。あくまでも、株式投資に偏りがちな僕のアセットアロケーションの見直しのためです。だから、僕の不動産投資収支率はかなり特殊で参考にならないと思います。手持ち資金が主で地面の取得価額もあまりかかっていないので、IRRは10%台の後半です。
不動産投資を積極的に行っているわけではなく、相続税対策などを睨みながら、のんびりやっています。
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