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投資法・投資哲学

りおぱんさんほどでも株式投資で早く儲けたいと考えたり焦りが出た経験はありますか?

質問

りおぱんさんほどでも株式投資で早く儲けたいと考えたり焦りが出た経験はありますか?

回答

僕が株式投資を始めた時は兼業投資家で、しかも高年収(確か当時の年俸は6500万円だった)で、仕事もクソ忙しかったから、あくまで投資は余業だった。「儲かればいい」ぐらいの気持ちでやっていたから、早く儲けたいという気持ちはさらさらなかった。

ところがこの株式投資が、ドットコムバブルの波に乗って、大儲けになってしまうんだよね。IT企業勤務だったので、ストックオプションで10億円近く、株式投資でも同じぐらい儲かってしまった。この時に抱いた気持ちの問題は「早く儲けたい」ではなく「投資なんて超簡単。僕には才能があるのかも」だった。

でもこのバブルは3年足らずで弾ける。この時、僕はバブルが弾けたことを理解できず、日々減る含み益を見ながらガチホしてしまった。これはアカンと思った時にはもう今さら利益を確定するのが悔しくて出来なかった。

このドットコムバブル破裂の時に取った行動が、僕の最大の教訓。「株式市場を舐めた人間は株式市場にしっぺ返しを喰らう」。

ただ上記のように僕はこの時儲かっていた含み益をかなり吐き出しただけで、損失は出していなかった。投資の利益で成城に一軒家を購入して、その他不動産投資や商品への投資をして、それでもまだ株式投資への種銭が十分に億単位であった。

ちょうどその頃、僕は仕事でNYSE上場の某名門企業の上席副社長として、ニューヨークに単身赴任する。この頃には年俸も8000万円ぐらいになっていたし、副収入も数千万規模であったから、投資に回せる種銭はさらにどんどん増えていく。おかげで9.11にニューヨークのウォール街にいた時に遭遇してあわや死にかけるんだけど、約2年間で米国IT企業を深く研究し、人的なネットワークを構築することもできた。

この2000年後半から2008年ごろにかけては、日本の仕事と米国の仕事を同時並行してやって、さらに副業や投資をするという超忙しいことになって、今度は過労死しかけるんだけど、資産だけはどんどん増えていった。2005年ぐらいまで株式投資は年間で儲かったり損失を出したりだったけれど、それでもかまわなかった。どちらかと言えば「儲けたい」と言うより、投資研究をして投資を行うのが「仕事の息抜き」という役割だった。

この時期、僕は経営を任されていたIT企業のIPOも達成、その企業の株式を何10%という比率で保有していたので、上場時にこれを売り出すなどしてさらに資産を増やした。そのほか関係していた企業でIPOできた会社が何社もあったので、その都度、上場利益を得ることができた。だからこの頃、株式投資はあくまで趣味だった。

しかしこのむちゃくちゃな働き方が原因で、2007年ごろから僕はうつ病を患う。完全な精神のガス欠。2008年には都合2ヶ月ほどの休職も経験している。仕事もあまりタフではないポジションに回してもらった。

2008年というのはまさにリーマンショックの年。僕の本業関連でもさまざまな問題が発生した。しかし運良く僕はこの対処にあたるポジションから外れていた。

そして精神的に絶不調だった2008年後半、リーマンショックのドン底で、仕事はロクに出来なくなって少しヒマになっていた僕は、なぜか株式投資だけは、良さげな米国株を淡々と買い入れることができた。

ちなみに2006年ぐらいから米国の不動産市場のバブル的な高騰とFRBの金利誘導を業務として分析していた僕は、暴落までは察知出来なかったけど、日本のバブル崩壊とメカニズムはほぼ同じという結論に達していたので、株式投資資金のキャッシュポジションを最大限に増やしてあったので、リーマンショックの被害を最小限に抑えられた上に、潤沢な株式購入資金があった。

この時にドン底で購入しまくった米国のIT株や半導体株が、のちにとんでもない利益を生み出した。そしてこの自分のメンタルであれば、専業投資家としてやっていけるんじゃないかという自信を得ることができた。このリーマンショック以降のほとんどの年で、僕はインデックスを大きくアウトパフォームし続けている。

その後、僕は静養後、親会社の役員ポストを狙うかどうかの選択を迫られるんだけど、「もう勘弁願いたい」というのが偽らざる気持ちだった。その頃には今の自宅の竣工も見えていたから、もう家でゆっくりと過ごしたかった。こうして僕は2010年、50歳で社会人をアーリーリタイアする。

それからはこれまでもポストしてきたけれど、ニュージーランド在住の友人の羊牧場で半年ほど静養生活を送ったり、その後は3年近く欧州や北アフリカを中心に海外旅行三昧の生活を過ごす。贅沢な生活を送ったけれど、その生活に十分耐えうる財産はもう築いてあった。

この静養期間ないし放浪期間中、僕はいつもノートPCを持って歩いて、株式投資で生計を立てるんだけど、注意したのは「大きく今の財産を毀損しないようにリスク管理を徹底する」ということであって、儲けを焦る気持ちはまったくなかった。今の家の建築は無借金でやったから、家計の収支のバランスは取れていて、焦る必要もなかった。

帰国後はしばらくおいて大学のゲスプロになったり、種々の公的お仕事をやって社会復帰を果たしながら、のんびりと株式投資をするんだけど、この時期からリーマンショック期に仕込んだものが収穫期を迎えて、僕の資産は加速度を増して増えていった。こうやって事実上の専業投資家として今に至る。

読んでもらえばわかるように、自分の力を過信して痛い目に遭ったり、勝負師の性格を発揮してリスクを多めに取ったりしたことは何度かあるけれど、儲けを焦ったことだけはないね。メンタルの起伏が乏しい(理屈優先で感情は制御する)というのがもともと僕の性格だし、株式投資で大損を出して熱くなったのも、東芝が不適切会計を起こした時、空売り側に回って大きく損を出した時ぐらいしか記憶にない。あの時は私情が混ざって失敗した。

僕の人生で儲けを焦ったとすれば、30代の時、リスクの高いマネーゲームを危ない連中とやった時ぐらいかな。バレれば本業をクビにもなりかねないゲームだったし、命の危険もあった。ただあの時は自分の頭脳を極限まで使っているという快感の方が大きかった。

30代で新聞社に勤務していた時の僕の年俸は2000万円弱。雑誌への記事の寄稿やそれが書籍化されたことによる印税収入、さらにはシンポジウムなどでの講演料収入などの副業で、こっちの年収も2500万円ぐらいあった。これで家計は十分成り立っていた。

このマネーゲームでは大儲けしたり、仲間に騙されて億単位の損を出したりするんだけど、妻に家事を一切させずに贅沢な暮らしをさせたり、娘の子育て費用にさまざまな出費をしたり(例えば家事を基本的に家事代行サービスの女性にぜんぶ委ねたり、娘の世話をベビーシッターさんにお願いしたり)といったコストを差し引いても、マネーゲームを辞めた後には3億円を優に超えるマネーが残り、これが後の株式投資の種銭になった。もちろん本業や副業でも億円レベルの資産が出来ていた。

この30代では大儲けを少し焦ったかもしれないね。まあ人間、資産を大きく構築したかったら、どこかで勝負をかけるしかない。ただこの時、精神が冷静でなければ、だいたい失敗する。

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