質問
皇室報道に関する私見や思い出話を教えてください。
回答
皇室の取材を主にするのは宮内庁内にある「宮内記者会」という記者クラブに所属する記者で、朝日、讀賣、毎日、産経、日経、東京新聞(中日新聞)、道新の新聞7社と、NHK、日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレ東のテレビ6社、それに共同、時事の通信社2社の合計15社です。
首相官邸内に入れる「内閣記者会(首相官邸記者クラブ)」のように、登録に際してあまりうるさいことは言われない記者クラブなので、たくさんの記者が登録しています。これは何か大きな動きがあった時、「宮内記者会」に所属しておいて、宮内庁が発行する「通行許可証」を持っていないと、皇宮警察が中に入れてくれないからです。つまり予備的なものです。
昨今は総理大臣や官房長官の記者会見も、ネットメディアやフリージャーナリストも入れるようになってきましたが、皇室取材には保安上の理由からか、まだあまり門戸が開放されていません。ですから、週刊誌、特に女性週刊誌や夕刊紙がいろんなことを書いていますが、これを書いている記者はいったいどんな取材をして書いているのか、僕は常々不思議に思ってきました。
僕が知っているある事例では、某女性週刊誌の記者は、学習院の同級生のお母さんたちの噂話をソースに記事を書いていました。最近も秋篠宮悠仁親王について、通われている筑波大付属の同級生のお母さんたちに取材していると聞きます。でもクラスさえ違うお母さんのコメントすら使っているみたいだし、そもそもこんな噂話をソースに記事を書くのは、僕はいかがなものかと思っています。
実はつい最近まで宮内庁には「広報室」というものがありませんでした。なんとできたのは昨年の4月です。いかにこれまで宮内庁が皇室情報の「発信」に不熱心だったかわかりますが、逆に言うと、ガセネタが書かれようが、いい加減な話を書かれようが、「反論する部署」がなかったので、「書かれ放題」だったわけです。
「宮内記者会」に所属しているメディアに対しては、ガセネタを書けば、宮内庁長官が直接抗議をすることができますが、それ以外のメディアとなると、宮内記者会の記者会見の場で長官が「事実無根」と抗議して、(おそらく抗議の電話でもして)、相手が非を認めなかったら、訴訟を起こすしかありません。
でも訴訟を起こせば、皇室の内部事情も明かさなければなりません。だから言っては悪いですが、女性週刊誌や夕刊紙を中心に「あることないこと」を適当に書いてきた歴史があります。最近はこれをソースにSNSで拡散している人たちがたくさんいます。
もうご存知ない若い方も多いのかもしれませんが、過去で多かったのは「雅子妃殿下と愛子さま」にまつわる話と「秋篠宮宮家関連」です。
僕の記憶しているところでは、幼少期に学習院に馴染めなかったとされる愛子さまに対して「発達障害の可能性が高いから将来の皇族として問題で」といった類いの心ない記事や、その愛子さまの世話にあたって宮中行事に出られなかった雅子妃殿下に対する「大バッシング」です。「皇室評論家」を自称するある方が「雅子さまは自ら皇室を退く決断をせよ」なんて記事を週刊誌に投稿されたこともありました。「雅子さまは宮中行事には欠席しているのに、テニスをしている」なんてもう嫌がらせとしか思えない記事もありました。この「雅子さまへの大バッシング」から雅子さまを守り続けたのは、現天皇陛下です。
秋篠宮宮家も本当にいろんな記事が女性週刊誌を中心に書かれてきました。有名なところでは「秋篠宮にはタイに愛人女性がいて、隠し子もいる」とか「秋篠宮妃のご実家が何かにつけて天皇家(現在の上皇さまたち)にお金の無心をするので、美智子さまがお怒りになっている」といったやつです。宮内記者会のベテラン記者でさえ、「菊のカーテン」を潜り抜けて取材するのはとても難しいのに、いったいどういう取材をしたら、こんな情報がつかめるのか、ほんと謎です。
秋篠宮さまはこうしたこともあり、常々、皇室の情報発信のあり方について、記者の質問に答えて、もっとちゃんと情報発信すべきだとおっしゃられてきました。広報室ができたことについても、秋篠宮さまの強いご意志が働いたという評判があって、実際、広報室ができた時、記者会見で記者から「広報室ができたことについてどう思うか。週刊誌やSNSで間違った情報が流れていることに常々懸念を示されていたが、これで改善されると思うか」という趣旨の質問があって、お答えになったことが宮内庁のサイトでわかります。
はっきり言って、週刊誌、特に女性週刊誌と夕刊紙の皇室に関する記事は「ろくに取材をしないで書いている」と思ったほうがいいです。相手が反論して来ないんですから、これまで書きたい放題でした。このほども宮内庁長官が週刊新潮の美智子さまが発言されたという女性皇族に関する記事について、宮内庁記者会見で「事実ではない」と抗議されたばかりです。でも宮内庁は事実無根であっても、週刊新潮と訴訟するわけにはいかないんですね。ほんと大変だと思います。
週刊誌や夕刊紙を見ると、記事でコメントしているのは「皇室ジャーナリスト」という不思議な人たちです。この中で多いのは「かつて宮内記者会に長年在籍したベテランの退職記者」と「元宮内庁職員」です。前者は確かに長い取材による知見がありますが、すでに退職しているわけですから、「宮内記者会」には所属していません。後者のうち後述する「オク」の職員であれば大変な情報ソースを持っていることになるんですが、寡聞にしてそういう方を存じ上げません。僕の知る限り、オモテの職員として宮内庁で採用され、下っ端仕事をされていた方たちです。別に情報源が何かあるわけではないので、「宮内庁元職員」という肩書きを使っていい加減な商売をされているだけです。こんな人たちの言うことに1円の価値もありません。それをSNSで拡散する人たちもいい加減な人たちです。
少し話を変えますが、宮内庁の担当記者というのは、記者の中でもかなり特殊です。「宮内記者会」に登録している記者数は多く、だいたい常時300人ぐらいいるとされます。これはあらゆる記者クラブでも最大規模です。でも宮内庁内にある「宮内記者会」のクラブ室にそんな数の記者はおさまりません。ほとんどが「いざという時のための応援要員」で、毎日、宮中に入って記者会見に顔を出す記者はそれほど数は多くはありません。
そして宮内庁担当記者は記者会見での公式発表や、公式行事に同行して、そのご様子を報道するといった一般的な記事以外の「とくダネ記事」を書くのがとても難しい仕事なんです。これは宮内庁職員に「オモテ」と「オク」があるというのが大きな要因です。
宮内庁長官や次長、総務課や秘書課、広報室といった事務方の職員を「オモテ」と言います。一部宮内庁生え抜きの職員もいますが、オモテの上の方に就くのは警察庁や外務省、内閣府なんかからの出向者です。その下に宮内庁生え抜きとして採用された事務職員がいると言う構図です。とある「皇室ジャーナリスト」が僕が見てもあまりに適当なことを言っているので、知り合いのベテラン宮内庁担当記者にその「素性」を尋ねたところ、「あいつは元用度課職員だよ」と苦笑されていました。備品管理や消耗品の調達をしていただけの人が、「宮内庁元職員」という肩書きを使って「皇室ジャーナリスト」を名乗ってメディアでコメントを出すんですから、なかなかいい度胸だと感心しました。
さてこのオモテの職員たちが、通常は記者の取材に対応しますが、このオモテの職員の方々は、皇族方のお世話を身近でしているわけではないんです。そして何年かすると出向元に戻っていく場合が多いです。ですからオモテの職員でさえ、「菊のカーテン」の内側について知っていることは限られます。
天皇陛下ご一家の身近にあってそのお世話をしている侍従職や、上皇さまたちをお世話する上皇職、秋篠宮家をお世話する皇嗣職などの職員が「オク」と言われて、そのお世話を直接します。例えば侍従や女官(にょかん)といった上級職から、侍医や、もう本当に身の回りのお世話をする内舎人(うどねり)、付人(つこうど)なんていういつの時代かと思うような職名の方までいます。そして本当に皇族方のご様子やご発言を知っているのは彼らなんですが、彼らが取材に対応してくることはまずありません。
しかし宮内庁担当記者はそれでは「とくダネ」が取れません。宮内庁担当記者について有名な文句があって「宮内庁担当記者の特オチは在職中には挽回できない」というものです。皇室関係のとくダネは、例えば皇位継承にまつわる話や天皇退位、皇太子のお妃決定、それに崩御です。こうした話はそう頻繁にあるわけではないですから、毎日たくさんのニュースが出てくる官庁や政治家や企業の取材と違って、落とすと取り返しが付きません。しかし万が一にも誤報をやったらそれはもう大変なことです。
ですからなんとかしてこの「オク」に少しでも食い込もうとします。しかしこれは容易ではありませんから時間がかかります。このため各社の「宮内庁番」は一度配属されたら、非常に長い期間、異動しません。そのまま皇室取材の専門家として記者生活を終える人も多いぐらいです。ここまでしないと取材できない皇族方の内々のご様子やご発言を、どうして「宮内記者会」に所属もしていないメディアがどこにも出ていない話をあれこれ書けるのか。ほんと超能力でも使っているとしか思えません。
最後に思い出話を書いておきます。昭和天皇が崩御されたのは、1989年1月7日です。しかし陛下は1987年頃から体調を崩されて、88年秋には明らかに、その日が近いことがわかっていました。もし崩御されたら直ちに号外を出さなくてはなりません。またしばらくはそれに関する記事をたくさん書かねばなりません。何しろいろいろあった「昭和」が終わるんですから。
一般には「Xデー」と言われましたが、新聞社が明らかにその取材を始めると崩御を待っているようですから、おおやけにはできません。僕が所属していた新聞社ではあるコードネームを使って、政治部、社会部、経済部、整理部など、全社横断的なチームを作り、記者を限定してその号外の作成とその後に続く紙面の準備作りにあたりました。僕もこの一員に加えられました。
僕が主にやったのは、財界関係者の「お悔やみの言葉」「昭和の思い出」のコメント取りです。1988年の春ぐらいからは「大変恐れ多いことですが、陛下が万が一崩御された時のお言葉をちょうだいできませんか?」と言って、財界関係者をまわって、お話しをうかがったものです。それを原稿に起こして、通常の上司であるデスクではなく、それ関連の担当になったデスクに渡しました。
粗々の号外の原板はもうかなり前からできていました。2年前といったレベルではありません。これに順次新しい情報を付け加えていって、88年の秋にはそれがいつでも印刷に回せる状態でしたが、それを社内全体横断的にできた取材チームのとあるデスクが原稿を管理し、整理部のある部長がいつでも印刷にまわせるレイアウト済みのものを管理していることは社内のトップシークレットでした。
秋ごろからはベテランの宮内庁担当記者が「オク」である侍医へのコネを活かして一進一退のご様子を記事にし、僕らは「Xデー」に備えて号外やその後に続く記事のための追加取材を、極めて神経を使いながらやっていました。僕が集めたたくさんのコメントの原稿は机の引き出しの中に隠してありました。
まお、1988年の秋ごろ、陛下の病状悪化が報道されると、世の中には世の中には「自粛ブーム」というものがおきました。テレビ局はお笑い番組やバラエティ番組、歌番組を自粛して差し替え、プロ野球の優勝チームは祝勝会を自粛、「元気」「おめでとう」「うれしい」と言ったキャッチコピーが入ってる広告は差し替え、学校の運動会などの自粛、さらには年賀状での「明けましておめでとう」といった言葉の使用自粛までありました。
1989年の正月に入ってからは、担当記者は交代で24時間体制で「その時」に備えました。僕は若手だったので夜間の待機組にまわされることが多く、1月7日の早朝、「天皇崩御」の第一報が社内に流れた時も会社にいて、長かった緊張からようやく解き放たれたのを今でも覚えています。まもなく官房長官と宮内庁長官から正式に崩御が発表されました。午前8時頃だったと思います。それから慌ただしく新天皇の践祚やら、竹下総理の謹話なんかが発表されていきました。
その後の続報については、経済部の中にもこの担当になったデスクがいて、この仕事を割り当てられた経済記者を集めてどんな続報を入れていくか打ち合わせしたものです。この時は僕たちが想定していた以上の「自粛ブーム」が発生、さらに経済が冷え込んだので、その記事も取材して書くことになりました。自粛ブームの取材は主に社会部がやりましたが、株式市場も崩御された7日と翌日8日の取引を自粛したので、こういうものの取材は経済部で受け持ちました。
ただ皇室に関係する記事は、新聞社としてとても気を使います。僕は記事を書く時、宮内庁担当のベテラン記者に何回か問い合わせの電話をかけて、「こういう記事を書く予定だけど、宮内庁担当的に問題ないか」と確認しました。こういう作業をすることは、他のことでは滅多にありません。宮内庁担当から「そういう記事は今後の皇室取材に差し障りがあるから控えてくれないか」と言われて書くのをやめた記事もありました。こういうやり取りを経て、宮内庁担当のベテランのおじいちゃん記者と飲みにいく仲になったんです。
昭和天皇の崩御からもう35年が経ちました。幸いその間、天皇家の直系には一度もご不幸がありません。昭和天皇崩御の記事で一歩出遅れた新聞社の宮内庁担当記者たちは、やっぱりそれを挽回することなく退職したわけです。
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