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今までの人生で最も強い印象の残ってる選挙はいつのなんの選挙ですか?

質問

今までの人生で最も強い印象の残ってる選挙はいつのなんの選挙ですか?

 

回答

広い意味での「選挙」では、1979年10月7日に行われた衆議院総選挙の後、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘という三角大福中と言われた政治家たちの怨念が絡み合って起きた「40日抗争」の果てに行われた第89回国会の「内閣総理大臣指名選挙」です。

1979年衆院選では自民党は事実上敗北したので、大平さんが首相を退いて福田さんに禅譲するという観測がありました。しかし大平さんがバッくれたため、大平支持派と福田支持派で激しい抗争が起きたんです。結局、両派が譲らず、自民党内では調整がつかなかったため、衆議院の首相指名選挙に大平さん、福田さんの両雄が並び立つという事態になったんです。

僕が当時私設秘書をしていた代議士は、福田派の中堅だったので、僕は多数派工作のため、いろんなところにお使いに行きました。当の福田赳夫さんのところに行き、福田さんから「君は今の政局をどう思う」と聞かれたのもこの時でした。ここでは書けませんが、福田さんから過去のいろんな経緯について裏話もうかがっています。

というのも、1978年の自民党総裁選では、福田さんが現職の総理・総裁でありながら、大平さんが立ってこれを田中角栄さんが大掛かりな支援をしたので、福田さんが予想に反して敗れるということがあったからです。ですから双方の怨念には強いものがあって譲れなかったんです。僕は新米秘書でしたので、自民党内の政治家から野党政治家、財界関係者、それにマスコミの大物などまで、いろんなところにお手紙を持って行きました。

首相指名選挙の結果は接戦でしたが、1回目は大平さん135票、福田さん125票、社会党の飛鳥田一雄さん107票と際どく大平さんが勝利。大平さんが勝ったのは大平派に田中派に加えて野党の新自由クラブが大平さん支持に回ってためです。誰も過半数に達しなかったので、大平さん、福田さんという自民党同士で決戦投票をするという極めて異例の事態になり、野党はほぼすべて棄権に回りましたが、またも大平さんに新自由クラブが投票した結果、大平さんが僅差で総理に指名されています。

しかしこの遺恨は第二次大平内閣の成立後も続きました。ロッキード事件に関する小佐野賢治さんの国会証言があり、そこでロッキード社から流れたお金の一部が、浜田幸一さんがラスベガスのカジノで450万ドルの大負けしたお金の埋め当てに使われたということが明らかにされ、当時、自民党の国民運動本部長だったハマコーさんが辞任するという事件がありました。

しかし野党はハマコーさんの議員辞職を求めて譲らず、受け入れない大平さんに対して、その他の失政を理由に付け加えた上で、内閣不信任案を提出することにしました。

この時、微妙だったのが自民党の非主流派の動きです。大平さんや主流派が党の方針に従わない者は除名すると強硬路線を取ったのに対して、非主流派から政調会長に選ばれていた安倍晋太郎さんが「そんなことはするべきではない」と反発しました。

結局、党内調整が付かないまま、不信任案の議決当日になり、自民党非主流派のうち、福田派と三木派のほとんどの議員は欠席しました。政界風見鶏と言われた中曽根康弘さんが率いる中曽根派だけが土壇場で出席を決めています。この時、政調会長として出席する判断をした安倍晋太郎さんを、当時、福田派の若手だった森喜朗さんたちが、取り囲むようにして議場から退席させるなんてことも起きています。

この結果、野党の出した不信任案は予想に反して可決されて、大平さんは衆議院を解散させる道を選びました。「ハプニング解散」と言われます。この第36回衆議院議員総選挙は異例尽くめでした。まず日本の戦後憲政史上、初めて衆参ダブル選挙になったことです。当時は衆参ダブル選挙は違憲という意見が強くタブーとされていたからです。しかしハプニングで解散された結果、短期間のうちに衆院選と参院選を別の日にズラして行うのは現実的ではなく、初の同日選もやむおえないということになりました。

また前回の第35回からわずか8ヶ月の短期間で総選挙が行われるのは、吉田内閣の「バカヤロー解散」の6ヶ月に続く短さでした。

しかし何より異例だったのは、選挙期間中に現職総理であった大平正芳さんが急死したことです。総選挙後の最初の国会招集時に総辞職するのが通例でしたので、こんなケースでどうなるのか、決まった学説もありませんでした。結局、伊東正義官房長官が総理臨時代理に、西村英一副総裁が総裁代行になって選挙戦を戦いました。

この時の選挙では、自民党は公認をめぐってもつれるなど、モヤモヤした選挙で、当初の予想では敗北だったんですが、大平さんの弔い選挙ということになって、党内が一気に結束します。国民の同情も集まったのか、自民党が地滑り的な大勝をおさめました。この総選挙も、僕には思い出深いです。

この頃はロッキード事件を背景に、総理には就けなくなっていた田中角栄さんがキングメーカーとして権勢を振るったので、大平内閣や第36回総選挙後に総理に就いた鈴木善幸内閣は「角影内閣」なんて呼ばれました。そしてその次に総理になったのが田中角栄さんの支持で少数派閥のトップでありながら総理の座を射止めた中曽根康弘さんです。官房長官に田中派の後藤田正晴さん、法務大臣は名警視総監と呼ばれた方でしたが、角栄さんに近く、ロッキード裁判に当時、検察批判を繰り返していた秦野章さんを起用したことが世の中をビックリさせたため、これは「もう角影ではない」ということで「直角内閣」と呼ばれました。最近では官房長官を他派閥から起用することも珍しくありませんが、当時は総裁派閥から選ぶのが慣例でした。

第36回総選挙後まで僕は自民党代議士の私設秘書というポジションで選挙に関わりましたが、この中曽根康弘総理のもとで行われた第37回衆議院議員総選挙は、テレビ局の政治部記者として初めて関わったので、これも思い出深いです。角栄さんが実刑判決になってから行われたので、「ロッキード選挙」と呼ばれました。自民党が単独過半数に及ばない敗北だったので、新自由クラブとの連立政権になりました。これは自民党と社会党の55年体制になってから初めての連立政権でした。

この第37回は12月18日に行われたんですが、この年は雪がよく降った年で、僕が選挙で担当したのが北陸から東北にかけての選挙でした。新米記者がやる中曽根番だった僕としては、選挙区取材をやらせてもらえたのは大抜擢だったんですが、スーツに革靴で雪国の選挙を追いかけるということになったので、酷い目に遭っています。雪国なら何をおいてもゴムの長靴であることは承知していたんですが、ついテレビ映りを気にしたんですよね。

候補者の後ろを追いかけていて、雪が積もって見えなかった溝に散々嵌って、お気に入りだったジョンロブを一足、水で濡らしたままにしてダメにした上、両足シモヤケになるというドジをやらかしています。替えに持って行っていたチャーチもダメにしたので、最後は諦めてゴムの長靴を履いて、取材をしてテレビでレポートしました。

この雪国の選挙で焦点だった角栄さんは大勝しました。

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